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カチャーシーの渦のなかで
私が初めて沖縄の土を踏んだのは、1972年10月6日。その年の5月15日、沖縄は日本に返還されていた。北海道の旭川から窓の外をちらつく雪を見ながら、汽車に乗った。東京、大阪、福岡を素通りし、鹿児島港へ。それから奄美大島経由の船で24時間。夜の那覇港に着いた。真っ暗な港に、何十台という軽貨物が、下船する乗船客たちを迎えていた。軽貨物の運転手の怒号のような客引きの声が、ほうぼうで飛び交う。
それから沖縄はすごい勢いで走りつづける。あっというまに軽貨物が消え、タクシーが走る。パチンコ屋のネオンが占領して夜空の星が消える。家が建つ。ビルが建つ。道路が広がり、リゾートホテルが林立する。観光客が押し寄せる。観光バスが沖縄中を走り回る。 でも、金網は無くならない。戦争の傷痕は消えない。 年間400万人以上にも膨れ上がった、沖縄への来訪者に観光バスは悲鳴をあげながらメッセージを送る。
「日本をよくごらんなさい。沖縄に立つと日本がよく見えるんですよ!」
しかし、多くの来訪者が青い海、青い空につつみ隠された、沖縄の中の日本に気づかずに帰っていく。
新しいターミナルビルが建ち、照明が港を照らす。船から降りてくるのは荷物ばかり。観光客は、新しい空港に降り立つ。
2000年サミット開催。
沖縄は走らせられながら、荒い呼吸の中でメッセ−ジを発信している。
「どこに向かって走っているの!?」「そんなに急いでどこへいくの!?」
カチャーシーの渦のなかで、クイチャーのリズムの中で、トゥバラーマの調べのなかで、今を生きる沖縄の人々の唄声が聞こえる。
「なんくる なんくる なんくる成いさ」「よーんなー よーんなーどぉ」 |